
戦国時代末期、土佐中央の長宗我部氏は、農民を戦力にするため一領具足の制度を作り、
戦力を充実させて強大になりました。一度は滅ぼされましたが復活し、安芸氏・本山氏・一条氏を
討ち土佐を統一、さらに四国制覇を達成しました。しかし4ヶ月で豊臣秀吉に敗れ、土佐一国に戻されたのです。
関ヶ原の戦いで西側についた長宗我部氏は領地を召し上げられ、代わりに掛川から移った山内一豊が
土佐一国を支配しました。その際に『一領具足』は全て武士以下の『郷士』となったのです。
山内氏は江戸時代を通じて土佐一国を支配しました。土佐では江戸時代初期に野中兼山、
末期には吉田東洋などの名家老が出て藩政を行っていました。
幕末には下層階級の『郷士』から坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎らの志士が国許や京都で活躍し、
討幕の流れを作ったのです。
最初討幕に反対していた藩上層部も最終的には幕府を見限り、山内容堂の指示で後藤象二郎が
『大政奉還』案を幕府に提出しました。その後 鳥羽伏見の戦い以後は『薩長土肥』の一員として
明治維新の実現に貢献したのです。